Australia、ワーキングホリデーでしかできないことってなんだろう。
唐突に思い立ったことを書こうかと。
よく、『今しかできない経験』とか、『他の人はしてない経験』とか、ワーホリをしに来てる人の謳い文句になっているような気がする。苦労することも、外国の友人を作ることも、もちろんその通りだと思う。
ついさっきまで、部屋の中でベッドでごろごろしていました(我が家はown roomなので気兼ねなくごろごろできる)。
寝っ転がってぼーっとしてるなんて、日本でもどこでもできて、時間を無駄にしている気がする…と思ったのでした。
…しかし、よくよく考えてみた。
日本で週5、時々土日出勤(できるだけしないようにしてた。ポリシーで)、平日時間外には毎日。社会的にも、私が職場の名前を言うと誰しもが口をそろえて「大変ですね…」と言ってくる。職場の名前を言うだけで。内容は言わなくても。
休みの日にごろごろしている時には、仕事のことがふっと浮かんだり、溜まった家事をしなくちゃなと思ったり、こんなに寝てて良いのか、いや、寝ないと身体も心ももたないと思ったり。
思いっきり気兼ねなくごろごろできたことがあただろうか。
そしてあと数か月で日本に帰るが、私の人生で今後、こんなに気兼ねなく、心配ごともかなり少なく、ごろごろできる日が来るだろうか…来るとしたら老後だと思う。
大学生最後の夏休みに、「こんなにぐだぐだできるのはこれが最後で、働き始めたらもう老後までノンストップだろうな」と思うのは一般的で、私もうっすらそう思っていた気がする。いや、私が大学生の夏は大学院試験の猛勉強だったな…訂正。思ってないです。でも世間的にはみんな思うことで、実際そうなる場合が多い。
こんなにごろごろできるのは最後だ!!ちゃんとごろごろしないと!!と思うのは、なんだかそれもまた強迫的で何か違うような気がする。もっと自由な形で、もっとのびのびした形で、あぁ、この経験も今しかできない有益なものだなと思いたい。そして、そんな気がしてきた。
なんだかそう思ったら、自分は時間を無駄にしているわけじゃないと思って、わくわくしてくる。
はっきり言って、何をしたら良いのか、よくわからなくなっている。だってこんなにフリーな時間をもらったこと、生まれてこのかた一度もないんだもん。
こういう状況に置かれた時、自分から何が生まれるのか、少し自分を見守ってみたいなと思う。